史上最短トップセールス!未だ破られない売上記録をもつ年商30億不動産会社社長
学生時代はどんなアルバイトをしてきたんですか?
ナリアガリインタビュアー:
時間をお金に変えるっていう概念ってなかなか持ってる高校生っていないと思うんですけど。
ちなみに何のバイトを経験されたんでしょうか?
鈴木社長:
1番最初はガソリンスタンド。
学校はアルバイト禁止だったんですけどね。
当時、公立ってバイト禁止な高校が多かったですけど、学校から徒歩5分のガソリンスタンドでアルバイトしてました(笑)
ナリアガリインタビュアー:
めっちゃリスクとってるじゃないですか!(笑)
鈴木社長:
そうなんすよ(笑)
帰りがてらここいいなと思って応募したら受かっちゃって。
たまに先生来るんですけど、先生来たら『僕、隠れますので』って言って隠れて(笑)
結果的にそういう風な対応してもらいながら続けさせて頂きましたが、リスクもあったのでガソリンスタンドでのアルバイトは半年位で辞めました。
ナリアガリインタビュアー:
リスクとりながら半年(笑)
バレなかったのすごいですね!
鈴木社長:
ばれてましたけど、多分(笑)
目をつぶってくれてたって感じですね、先生も。
ナリアガリインタビュアー:
ガソリンスタンドが1番長かったんですか?
そのほかで代表的な、将来のため身になったバイトってあります?
鈴木社長:
高校生でいったらないですね。
ガソリンスタンドやって、ドラッグストアとかで…。
最後は春休みか、高校3年の春休みは土方も3ヶ月位やったなぁ。
ナリアガリインタビュアー:
今の鈴木社長から考えると土方意外ですね。
意外ですけど、土方の親方ってイメージも似合いますね(笑)
鈴木社長:
土方の人が周りにいたからなんですけどね。
そんな感じでアルバイトで結構お金貯まりましたね、高校生の時。
高校生になってから小遣いって1円ももらったことないですから、僕。
全部自分のお金でやって免許も自分のお金で取得し、それでも30万円位高校の終わりの時には手元に残りました。
ナリアガリインタビュアー:
素晴らしいです!
で、その後大学進学になるじゃないですか。
バイトに明け暮れていて大学進学はどういう風に考えていたんですか?
鈴木社長:
大学はいきたくなかったんですよ。
高校2年生の時から既に大学進学の考えはなかったんです。
なぜかというと、お金を稼ぐということにおいて、大学をいったか、いかなかったかにおける、人生における稼げるトータル金額が大きく違うかっていうと、そうじゃないだろうと考えてたんで。
結局、実力さえあれば、中卒だろうが高卒だろうが上場企業の社長になってる人はいっぱいいますしね!
なので、大学行く意味を感じなかったんです。当時。
そんな考えで大学進学の考えは自分の中ではなかったのですが「親に大学にはいけよ」と散々言われまして。。。
「ま、じゃあしょうがねえ、卒業位しとくか」という位の気持ちで大学に進学しました。
ナリアガリインタビュアー:
ちなみに、お母様のお話が出たので、お伺いするのですが、出身地が千葉ですよね。
鈴木社長:
千葉ですね。
ナリアガリインタビュアー:
千葉県でどのような家庭で育たれたかをお伺いできますでしょうか?
お伺いする順番が逆になりましたが(笑)
鈴木社長:
4歳5歳位まで、めちゃくちゃ親父っ子でして。
ずっと親父と一緒にいて。親父と飲み行く時も、親父のバイクの後ろ乗ったり。
凄いファンキーな親父で。親父と4、5歳位までずっと一緒にいて。
で、ある時にですね、母親が家出をしまして、私もそれについて行って…。
で、その後、母子家庭としてずっと育ちました。
親父はそれ以降ずっと会ってなくてですね。
ナリアガリインタビュアー:
何歳まで会ってなかったんですか?
鈴木社長:
30歳位ですね。
ナリアガリインタビュアー:
記憶ある年齢まで、お父さんとずっと一緒にいたじゃないですか。
鈴木社長:
でも、記憶は消えてます。
ナリアガリインタビュアー:
あ、消えたんですね!
鈴木社長:
小学校、中学校、高校の時に親父がどうだったかっていう思い出も記憶も、どんな人とかも一切思い出せない状況になってました。
ナリアガリインタビュアー:
じゃあ、「お父さん子だった」っていうのは周りとか、お母さんから言われて知ったんですか?
鈴木社長:
親父と再会して判明しました。
ナリアガリインタビュアー:
思い出したんですか?
鈴木社長:
当時の画像とか、写真とかを見て知りました。
ナリアガリインタビュアー:
そのような幼少期の経験ってどういう風に、鈴木社長の人間形成に影響しておりますでしょうか。
鈴木社長:
これは後から知ったことなんですけど。
私の母親が、私の妻に当時家出して私を連れてった時のお話を赤裸々に話していたみたいで、妻から間接的に聞いたんです。
当時の私は『なんで、お父さんはいなくなっちゃったの』と、ギャーギャーとかなり駄々をこねていたみたいでして。
そんな時期が少し続き、ある時からいきなり切り替わり、泣きもせず駄々も一切こねなくなったみたいなんですね。
その話を聞いた時に、自分の中でふと思い出しました。
自分ってもう親父もいなくなったし、自分が親父の代わりとは言わないですけど「自分が強くならなきゃいけないんだな」っていうのを子供ながらに、潜在的に悟ったのではないかと。
その経験て、今の人生に多大に影響してると思います。
自分が弱いことを言っちゃいけないし、出しちゃいけないんだと。
自分は強くならなきゃいけないっていう。それはこれまでの人生の中で常に潜在的に意識していると思います。
ナリアガリインタビュアー:
自分が家族を守るぞっていう責任感が、既に幼少期から育まれた環境だったんですね。
鈴木社長:
育まれたというか、それ位センセーショナルな経験だったんですよね、親父がいなくなったことが、私にとって。
自分の世界にとって1番大事なものだったのが、消えた瞬間だったんだろうと思うんすよね。
違う世界になった時に、自分はその違う世界の捉え方をして自分が変わるしかないって適用したんだと思います。