地方&非大卒&非正規雇用の逆3拍子!非エリート社長が起業してナリアガリをつくるまで。

地方&非大卒&非正規雇用の逆3拍子!非エリート社長が起業してナリアガリをつくるまで。
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ナリアガリインタビュアー:

なるほど。ありがとうございます。

では、専門学校卒業してからのキャリアに関して伺えますか。

初めて就職されたのはどの業界でしたか?

佐野さん:

ちょっと変わった経歴ですが・・・

すぐに就職せず、フリーターで売れない芸人みたいな生活をしてました(笑)

専門学校卒業して、社会の中に出て、学生という肩書きもなくなった時、初めて今後の自分の人生に関して本気で考えましたね。てか、遅いよね(笑)

その時は、上京できる環境だったので、地元でずっといるつもりは最初からなくて。

半年位アルバイトして、上京資金貯めてファッションスタイリストになろうと決断しました。

美容専門学校の授業の中で、東京からパリコレとかに関わってる偉い服飾業界の先生が授業にきてて、その方の言葉で「その業界でナンバーワンになりたかったら、ナンバーワンにつけ!」っていう教えがありまして、それが強烈に残ってて、やっぱ美容師ではなく、元々やりたかったファッションスタイリストの方に行こうって考えました。

その決断の時に、人生のやる気スイッチが入ったみたいな(笑)

行動力はあったので、行きつけの地元のセレクトショップの人とかの伝手をたどって、当時スタイリスト業界ナンバーワンって呼ばれてた某ジャニーズとかをスタイリングしてる大物スタイリストさんがいて、その人がアシスタント募集してる噂を聞きつけアプローチを開始しました

履歴書持って事務所へ飛び込み営業やったり(笑)

その人はブラックの服をいつも着てたから、黒い封筒に履歴書入れて送付したりとかしてた。

それを送った上で、自分でも飛び込みで履歴書渡しに行ってみたり

あ、すいません、黒い封筒を送ったものなんですけど、届いてるか心配で、お渡ししに来ました」って言ったら、「あー、あの黒い封筒の人ね」みたいな(笑)

その時、事務所内で話題になってたみたいですね。黒い封筒が(笑)

この時点で営業力は開花してたのかな(笑)

そこから、路上キャッチのバイトとかやって、半年で上京資金貯めて東京に来ました。

そこから、少しずつ大物スタイリストさんの事務所からヘルプ要員で呼ばれるようになったんですよ。

人手が足りない時。

何回かそこ行ってて、ある時その大物スタイリストのアシスタントの人から、雑談の中で、「君の家って金持ち?」って急に聞かれたんですね。

いや、金ないですけど」と言ったら、「この業界は親がお金持ちじゃないとできないよ」って言われてまして。

今はちょっと変わりつつあると思うけど、もっと業界がブラックだったみたいで

よくあるじゃないですか、キラキラした業界って、ふたを開けてみたらブラックみたいな。

アシスタントって、ほぼ給料なくて、「夜とかバイトしたりとかしないと生活できないよ」って言われてましたね。

実家は経済的に苦しんでるのに、自分は好き勝手に、このままやってて良いのかってかなり悩みました。そん時。

やっと上京してきたのに、いきなり1Rで現実というストレートパンチをモロに決められた感じ(笑)

自分のやりたいことって、イコール自己実現じゃないですか。

自己実現のための情熱は有り余るほどあるけど、目の前には解決しなきゃいけない課題。両親を経済的に助けるっていう課題がある。

自分自身の才能・能力を活かしながら、両親を経済的に援助する課題を解決できる道って何だろう?と考え続けました。

その時丁度第二次ベンチャーブームで、会社って作れるんだということをその時知りまして。

これだ!と。

自分も起業して社長として自己実現も叶えながら、経済的に成功して親を楽させてあげようっていう風に決めました

丁度、20歳の時です。

そこから1回実家に戻って、「俺、もう1回やり直す」って言って、お金貯めてもう1回上京資金及び企業資金を貯め直す事にしました。

その時時給が高かったのは、派遣の工場だったんで、工場長に直訴して、「僕、起業したいんで、休み1日もいらないんでと言って働かせてもらいました。お正月だけラインが閉まるんだけど、「お正月以外は休みいらないから、全部働かしてくれ」って(笑)

今だったら逆に僕のせいで労務に刺されて工場長に迷惑かけてたと思うんですけど(笑)

「お前の情熱はわかったから。いいよ」って言われて本当に休みなしで働きました。

シフト制で、4日間日勤行って、すぐ4日間夜勤やって、また日勤。この4日タームの日勤夜勤のシフトを2年間続けながら、空き時間は全てビジネス書か成功者の本だけ読み続けてました。

刑務所入ってる感覚でしたね(笑)刑務所入ったことないけど。

その生活を2年半位続け、結果300万ちょっと貯めて、再度東京チャレンジをしたのが、23歳位ですね。

ナリアガリインタビュアー

なるほど。行動力半端ないですね(笑)

ご出身はどちらですか?

佐野さん

横須賀のシティボーイとして産まれ、なんの罰ゲームか、前世でなんかしたのか、生後3か月で山梨の山の奥に引っ越しました。

なので、育ちは山梨県南アルプス市になります。

ナリアガリインタビュアー

(爆笑)

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このコラムを書いた人

INSIDE OUT社長 佐野 鮎希

INSIDE OUT社の原宿オフィスには日々、起業家、HIPHOPアーティスト、プロスポーツ選手、お笑い芸人などが気軽に遊びに来る。若者の人生に対して刺激を与えるべく【ナリアガリ】ストーリーを発信中。