夢を諦めた借金持ちから投資家&狩猟ハンターへ。野心がなくてもナリアガれる。
長山衛さんのこれまでについて
ナリアガリインタビュアー:
本日はよろしくお願いいたします。
ナリアガリとは20代の非エリートを対象としたキャリア支援サービスでして、本日は長山さんが投資家になるまで、ナリアガったストーリーをお伺いできればと思います。
まず、長山さんで言う「ナリアガリ」の定義はなんでしょうか?
長山さん:
僕の中での「ナリアガリ」の定義は何だろうなぁ。。
ナリアガリインタビュアー:
経済的な資産もしくは、自由な時間とかですかね?
長山さん:
好きなことやれる自由な時間を手に入れたことがナリアガリかものしれないですし、人によって感じ方は色々ですよね。
僕の中のナリアガリってかっこよく言っちゃうと「自由」なんすけど、自由って言ってもちょっと幅広すぎるから、「時間的自由」って言った方がいいかな。
ナリアガリインタビュアー:
例えばですが、フリーターも時間的には自由といえば自由じゃないですか。
ただ、フリーターとかの場合って経済的心配をしながらの自由なので、「経済的な心配をしなくていい自由」っていう状態でしょうか。
長山さん:
あー、そうね。
そこをもうちょっと解像度を上げていうと、僕の場合はなんだろう?
子どもが好きなんですよ。
これは自分の子どももそうなんですけど、別に子ども全般が好きですし、その「子どもと過ごす自由な時間を手に入れられた、環境が作れた」っていうのが僕の中での”成り上がれた”っていう感じですかね。
ナリアガリインタビュアー:
なるほど。
長山さん:
それをやるには当然ですけど、ただ子どもと一緒にいるだけで、収入が0だったら…それはもう先が見えてるじゃないですか。
それを望んでたわけではないので、ちゃんとした経済基盤とプライベートで子どもとの時間をしっかりと費やせる環境整えて、自分でコントロールできる環境を作れたのが成りあがったかなって僕の中で思います。
でもこれは別にみんながみんなそう思ってないっていうのも全然僕は理解してますし、僕の中ではあくまでそういうのが成り上がれたなっていう認識になります。
ナリアガリインタビュアー:
どのようにして、そのような考えに行き着いたのでしょうか?
長山さん:
そこで言うと、僕は子どもの時、両親が共働きだったんですよ。
で、もちろん愛情受けてたっていうのは理解は十分あるんですけど、子どもながらに『なんか他のうちのお父さん、お母さんっていっぱいお出かけしてるな』とか、そういう羨ましさってなんとなくあったんですよね。
自分が親になった時はそうしてあげたいなっていうのが多分根底にはあったと思うんですよ。
その辺がきっかけなのかな。
ナリアガリインタビュアー:
ご両親は何の職業だったんですか?
長山さん:
父は社長さんなんですよ。
会社経営やってて、母は教師なんです、国語教師。
ナリアガリインタビュアー:
ほ〜。そうなんですね。
長山さん:
どっちも忙しいっすよそりゃ。そうだよなって。
でも結局そういう環境に不遇な印象持ちつつ、結局は自分が最終的には社長になるんすけどね(笑)
最終学歴をお伺いしても宜しいですか?
長山さん:
大卒です。
今、大学名変わっちゃったんですけど、 入った時は帝京技術科学大学っていう仰々しい名前なですけど、今は帝京平成大学ですね。
経営情報学部です。
ナリアガリインタビュアー:
そこに入学された理由は何だったんですか?
長山さん:
元々、先程お話しした、家庭環境を別に僕の中で不遇とは全然思ってないし、もっとそれこそ難しい環境の家庭なんかいくらでもあるし。
それが嫌とは思ってなかったんですけど、 やっぱり父が会社を経営してて、母が教師っていう仕事柄なんだろうな。
ちょっとね、他の家庭と比較して堅い家だったんですよ。
そういう家の中で且つ、母がちょっと仰々しいんですけど、琴ってあるじゃないですか。
あれの家元なんですよね。
佐野さん:
凄いですね!それは。
長山さん:
そう、そういう音楽に触れながらの環境でもあったんです。
まあ、そういうところへの反発なんでしょうね。
だから、僕が中学ぐらいでギターとかバンドをやり始めて、社会的に対するすごい「自由」を求めるようになったんだと思います。
そこから音楽をやって、高校ぐらいの時は『音楽で飯食っていこうかな』っていうのは割と本気で持ってたんですよ。
その頃はギターだったんですけど、本当にすごい練習量でやってたと思います。
1日5、6時間やってたと思いますね。
そのぐらい弾いてて。
ただまあ音楽ってね、努力と成功が比例しない業界というか、運の要素もめちゃくちゃあるんですよ。
商業的に成功するには。
高校3年ぐらいに『音楽で食っていくのは難しいな』って思ってきたところで、とりあえずの大学進学っていう、そういう意味ではすごいダメな進学理由だと思うんですけど。そんな感じで大学に進学したんですよね(笑)
ただ、その時にやっぱりなんとなく経営学を選んで。
自分の中で反面教師にしてたと思いつつも一方では全然反面になってなくて、父がやってた経営っていう部分に、なんとなくの興味もあったんだと思います。
経営学を選んで、最終的にその大学を卒業して、塾講師やってたんですよ。
それはもう完全に母の影響ですね。
音楽で食べていけないと感じたのは何歳ぐらいですか。
長山さん:
そうですね、はっきりと決別っていう感じになったのは大学生なのかな。
高3の時は現実的に難しいとは思いつつも、まだまだちょっと諦めきれてなくて。
まだまだ やれる可能性を自分に信じつつも時間がないから、「とりあえず大学の4年間で結果出すか」みたいな気持ちがあったのかもしれないです。
でも、最終的に大学3年、4年ぐらいで『いや、もうこれは無理だ』っていう自分の中での落としどころを見つけた気がしますね。
それで、職業としての音楽っていうのは諦めて、いわゆる一般の会社に行ったっていう経緯がありますかね。
なぜそこで教育業界に行くことにしたんでしょうか?
長山さん:
やっぱり先程話した母の影響だと思うんですよ。
けど、よく考えると何ででしょうかね?
僕も未だに『なんでだったんだろうな』って思う時あるんですけど、母がやってた仕事だったからなんとなくイメージはついていたんでしょうね。
ナリアガリインタビュアー:
その時、既に起業するぞ!ってお考えはあったのでしょうか?
長山さん:
なかったですね(笑)
僕はそう意味ではなんだろう。
当時の僕の中では起業は「バカがやること」っていうか「リスクしかない」みたいな、リスクとリターンのバランスが悪すぎる選択だと思っていたんですよ。
それはもちろん当時の知識のめちゃくちゃ浅い段階ですけども、『なんでわざわざそんなことするんだろう』ぐらいに思ってましたし。
なので、会社を自分でやるっていう概念はそこから数年間なかったですね。(笑)
その時の僕はもうずっと人生サラリーマンで考えてましたから。
ナリアガリインタビュアー:
へー!意外ですね!
その後の起業のきっかけと、長山さんのこれまでの人生で、ここがどん底だったなっていう内容について教えてください。