元祖元ヤンインターン!農業界に革命を起こす!元暴走族チーム鉈出殺殺(ナタデココ)総長!
おいくつぐらいまで暴走族をやられてたんですか。
田中社長:
何歳位までやってたって聞かれたらよくわかんないですね。
いつから始まったのかもよくわかんないし、いつ終わったのかもよくわからないような。
そういうふわっとした感じです、はい(笑)
ナリアガリインタビュアー:
なるほど(笑)
高校卒業されて青果の仲卸市場に勤務されてた時は、もう鉈出殺殺の活動は終わってたんですかね。
田中社長:
そうですね。
活動は終わってたんですけど、僕、車とかバイクをいじるのは好きだったんですよ。
なので暴走族らしい暴走族ではなくて、もう数人で、バイクを借りてブンブンやったことはありましたね。
集会っていう感じでも正直なくて、集会っていうか、別に全員いつもそこにいるし、みたいな感じだったんで、別にちゃんと活動はしてないです。
どっちかっていうと、スケボーやってる時間の方が長かったと思います、圧倒的に。
ナリアガリインタビュアー:
なるほど。
元々スケーター色が強いですか、田中社長は。
田中社長:
あ、全然強いと思います。
地元の仲間とかが ヒップホップ聞いたり、スケボーやったりとかするのが好きなやつが周りにいっぱいいて。
逆に暴走族みたいな人がほとんどいなかったです。
ナリアガリインタビュアー:
そうなんですか!
当時将来の自分の姿は想像されていましたか?
田中社長:
僕は早く仕事がしたかったんですね。
なんか、自分で早く金が稼ぎたくて。
車買ったり、バイク買ったりとか、自分でしたいなと思ったんです。
スケボーを買うとかって言っても、高校生のバイトだと、なかなか板が早く買い替えられないとかだったんで。
早く金を自分で稼ぎたい!なと。
あ、でも高校の時は1回、服飾の専門学校行きたいと思って。
それは当時付き合ってた彼女の影響なんですけど、俺もそういう世界に行ってみたいと思ったんですよね。
だけど俺はとにかく勉強全然やってなかったんで、高3の時の通知表が1だらけだったんですよ(笑)
そしたら、後から先生に聞いたんすけど、3年生一学期に1とかと取ると、調査書とか書類が出なくて、進学できないってその時初めて知って(笑)
ナリアガリインタビュアー:
はい(笑)
田中社長:
で『うええ〜!』と思って、だめじゃん!て思ってて、どうしようかなと思って。
ただ、漠然と心の中には、「青果の中卸し」ってのはあって。
というのも自分の父がやってる会社だったんですよ。
昔は、なんて言うか、うまく表現できないんですけど、市場の人たちって、古風な人たちが多かったんで、正月とかになるとうちに挨拶に来るとかっていう、文化が僕が子供の頃あって。
すげえ変な話なんですけど、自分の子供の頃なんて、そういう人たちがわらわらお年玉を持ってきてくれて、俺、小学校の時にお年玉50万とかもらってたんですよ(笑)
ナリアガリインタビュアー:
一年で!?
すごいですね(笑)
田中社長:
そういう環境だったんで。
それで、そういう人たちがふざけて「おい、後継ぎ!」みたいな感じで自分に言ってくるんですよ。
なので、逆にそういう環境にずっといたから、いつか僕はそこに行くのが当たり前っていう、洗脳みたいなものを受けてたような気がしていて、今考えれば。
『いつか多分そこに行くんだろうな。でも、その前の段階で服飾とか他の世界を見てみたい』とかって思ってたぐらいなんですけど、まあまあ見事に学校から調査書が出なかったので(笑)そういう選択肢は全て失われ、それで市場に入ろうと思ってました。
その1年位前に僕のいとこが会計士か何かを目指していたんだけど『テストに落ちたらおじさんの会社入れてよ』とか言ってて。
そいつがそれを言ってる時、たまたま俺、横にいたんですよ。
そしたら、うちの親父がめちゃくちゃキレてて『ダメだったら、うちってどどういうことだ、てめえ!』みたいな感じにキレてて(笑)
俺も専門学校行きたかったけど、ダメやったから市場入れてって言ったら絶対怒られると思ったから、もう俺は『高校卒業したら市場に行く。俺は心に決めてたから入れてくれ』って一応言ったんですよ。
そしたら(お父さんも)『おお、そうか。』みたいな感じになって、それで市場に(笑)
もう本当卒業したらすぐですね。
間髪入れずにすぐに市場で働いてたって感じですね。
ナリアガリインタビュアー:
なるほど、なるほど。
それが19歳の時ってことですよね。就職されたのは…。
田中社長:
そうですね、年齢的には18の時ですかね。