元祖元ヤンインターン!農業界に革命を起こす!元暴走族チーム鉈出殺殺(ナタデココ)総長!
田中健二さんのこれまでについて
ナリアガリインタビュアー:
本日のインタビューは「ヤンキー村の農業革命」の著者で、元暴走族チーム鉈出殺殺(ナタデココ)総長田中健二社長になります。
田中社長、本日は宜しくお願い致します。
田中社長:
はい、お願いします!
最初に田中社長の最終学歴をお聞かせください。
田中社長:
僕の最終学歴は高卒っすね。
ナリアガリインタビュアー:
そうなんですね。
高校を卒業されて、1番最初に就かれた職業ってなんでしょうか?
田中社長:
市場の青果仲卸業っすね。
ナリアガリインタビュアー:
そうなんですね!
その時が「農業」との出会いだったということでしょうかね。
田中社長:
あー、そうっすね。でもなんて言うんだろうな。
もちろん野菜と果物販売してたんで、出会いっちゃ出会いなんですけど、市場っていう場所は「農業」とそんなに親密にお付き合いがあったわけじゃなかったんですよね。
当時は市場は市場の中で、スーパーのバイヤーとか、八百屋さんとか、飲食店の人々たちを相手に野菜・果物を売るっていう場所だったので、僕たち中卸業者が市場から出ることがほぼほぼなかったって言ってもいいぐらいな感じでしたね。
今はもう産直商品とか当たり前になったので市場から出て売ることもあるんですけど、当時はなかったです。
ナリアガリインタビュアー:
そうなんですね。
この後にまた農業に行かれたキッカケとか、お伺いできればなと思うんですけども。
僕、田中社長の著書も買わせていただいて読ませていただいておりました。
田中社長:
ありがとうございます(笑)
ナリアガリインタビュアー:
ちょっと変わったところで言うと、ヤンキー時代じゃないですけど「暴走族時代」とかからもお伺いさせていただければなと思ってまして。
田中社長:
あのー、暴走族っていうのをやったことは嘘じゃないんですけど、僕たちの時代って既にそういうのはもういなくなっちゃってて。
僕らの2、3個上ぐらいまでの世代の人たちはすごくいっぱいいたんですけど、僕らの頃はなんて言えばいいんですかね。
スケボーをやったりとか、ヒップホップを聞くみたいな感じで。
高1ぐらいの時にターンテーブルを友達が買って、それをいじくって遊んでるみたいな感じだったんですよ。
多分限りなく皆さんが想像してる暴走族では絶対なくて。
その中で僕の地元松戸ってとこなんですけれど、昔は松戸で有名な暴走族がいたんですけど、そういうのが僕らの代って1人もいなかったんですよ。
1つ下の後輩で1人だけでやってるやつがいて、逆にそいつがいじくられちゃってるような現象が起きてて。
ナリアガリインタビュアー:
そうなんですか!
田中社長:
暴走族ってなんか特殊な文化じゃないですか。
だけどそういうのがなくなるのも悲しいねって言って、みんなでスケボーをやりながら話し合って作ったのが『鉈出殺殺(ナタデココ)』でして(笑)
だから全然ちゃんとしてないんですけど、嘘じゃないから一応「暴走族」って言っちゃったんだけど、意外にまあまあ有名になって、やべえなってちょっと思ってました(笑)
ナリアガリインタビュアー:
ははは(笑)
特殊なのが、暴走族からストリートへの進化の流れはイメージできるんですが、その逆のスケボーしながら話し合って暴走族のチーム結成って新しいですねよね(笑)
田中社長:
あー、そうですね。
まぁ、新しいと思います(笑)
始まりもふわっとしてるんですけど、終わりもふわっとしてて。
いつからいつまでやってたかってのがよくわからないんですけど、多分16歳ぐらいの時に『鉈出殺殺(ナタデココ)』はできたと思います。
僕らデニーズでよく溜まってて、僕がナタデココを毎晩のように食べてたんですよ。
当時ナタデココって流行ってたんですよ。
ヨーグルトから何から何まで(ナタデココ入りの)デザートが流行ってて。
それを毎日食べていてそれで『じゃあ暴走族作ろう!名前何しようか?』って言ってて、なんとなく俺ナタデココ食べてたので『ナタデココ』って言ったら、意外に通っちゃって(笑)
それで『鉈出殺殺(ナタデココ)』になったってとこですかね。
ナリアガリインタビュアー:
(笑)